CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>
PR
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

ある日突然

HOMMヨのニイマリコ個人サークルだ 
スポンサーサイト
0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    | - | | - | - | - | - |
    キープ・ユア・ドリームス
    0

      愛でなく、夢としか言いようのない”感情”はあるんだにゃあと、

      気付いた時のことを覚えていたのでした。

       

       

      PRIMAL SCREAM

      Keep your dreams

       

       

      I believe that sinfulness
      Can burn your soul away

      痛み、というものは

      魂まで焼き払ってしまえると

      俺は思う
      There’s no release from nothingness
      When love has gone away

      愛が戻らないとわかれば

      虚無に足を捕られてしまうだろ

      Stuck in acid, you will rust

      酸に浸かって 錆つくおまえ
      Time will turn your bones to dust

      そのうち骨まで塵になる
      I can muster, let her go

      だからやるんだ あいつを解放しなくちゃ
      Keep your dreams, don’t sell your soul

      夢を守り続けて 魂を売り渡しちゃ駄目だ
      Be careful

      気をつけて

      I believe in forgiveness

      赦すことだ
      Hate will eat you whole

      憎しみはおまえを蝕む
      Bad blood, a lifelong curse,

      敵意や、孤独な罪悪、

      You’ve got to let it go

      そいつを逃してやろう

      Stuck in acid, you will rust

      ドン底に縛り付けられて
      Time will turn your bones to dust

      時間が跡形もなくしてしまうよ
      I can muster, let her go

      できるだろ いかせてやろう
      Keep your dreams, don’t sell your soul

      夢は持ち続けるべきだ 魂を売り渡すことだけは
      Be careful

      避けなくては

      I’m going down to the underground

      俺はもっと深くに向かう
      I’m going down to the underground

      俺はもっともっと深く
      As deep as I can go

      できるだけ
      I’m going down to the underground

      潜っていく
      As deep as I can go

      できるだけ深く
      I’m going down to the underground
      As deep as I can go
      (deep as I can go)
      I’m going down to the underground
      As deep as I can go
      (deep as I can go)

      | - | 21:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      やさしい言葉が沁みたのよ
      0
        宇多田ヒカルさんの新譜を聴きながら色々と湧いてきたので書きますね。

        ある日私は小さなバーで、とある女の子の絵の展示のオープニングで弾き語りを頼まれていたのだった。そこで、”traveling”と”圭子の夢は夜ひらく”をマッシュアップした”ヒカルの夢も夜ひらく”という持ちネタを演奏した。ヒカルさんのモノマネも織り交ぜて。その若い女の子は喜んでくれたけれど、宇多田ヒカルが喋ってるところ、見たことありません、と笑った。
        展示のテーマは…タイトルやなんかは忘れてしまったけれど、女性器のイメージや、性的なイメージを前面に押し出したもので、彼女の手首には傷が沢山あった。嘘っぽくなる気がして、なるべく影響を受けたくないから、美術学校には通っているけれど、他のアーティストは意図的に鑑賞しないようにしている、と言っていて、私は無理はしなくていいのだけれど、他のアーティストを見たり、歴史を学ぶことはとても大切だよ、と伝えた。やっぱり彼女はコロコロ笑った。かわいらしい子だった。とても綺麗な、肌の白い、華奢な女の子。

        その次の日、宇多田ヒカルの母、藤圭子がマンションから飛び降りたニュースを聞いた。そのバーの近くだったそうだ。東北生まれの瞽女さんの娘、瞳の強い新宿の女は、新宿の地面に身体を叩きつけて、自力で命を終わらせた。

        今年、昔からお世話になっていた女性が亡くなった。彼女は大きな家の生まれで、美人で利発な人だった。いつもブーたれてロックだパンクだしている私を、マリちゃん、女の子は笑顔よ!と声をかけるような人だった。私は一度もそのアドバイスに従えなかった。女の子は笑顔。なんでやねん。楽しかったり嬉しかったりしたら勝手に笑うわい。媚びんわい。そんな風にどこかで思っていたから、ハイハイ、ウンウン、と応えても苦笑いをしていた。けれどその人のことは好きだった。女の子は笑顔よ、の哲学の裏には、血の滲むような、涙も出ないような場面が沢山あることもわかっていた。どうしてそこまで理解ながら、ならば慰めでもいいから、女の子は笑顔、を実践するところを見せられなかったんだろう、と後悔することだって、バッチリ予感していたのにな。別に私のことではなくて、多分安心を知らないまま、彼女はこの世からいなくなってしまった。

        ”桜流し”はエヴァンゲリオンの主題歌で、ヒカルさんは映画公開前に渚カヲルの活躍にはしゃいだツイートをしていたので、ああ〜カヲルくんの歌だ〜〜、前の主題歌”beautiful world”もカヲルくんの歌だったもんね〜〜!わかる〜〜!なんて勝手にもえもえして泣いたりしてたんだけどね。カヲル好きなんよね。んで、今回アルバムを買って(初めて買ったんだ、申し訳ないことに…高い…高いよ日本のCD…)きちんと聴いたら、流石に彼女のことを思い出して、ごめんなさい、と呟いた。何に対するごめんなさい、なのかはクリアにしなくていいんだ。宇多田ヒカルの声は華奢で、しなやかで、ギリギリで優しいから。

        ”開いたばかりの 花が 散るのを”
        ”見ていた 木立の 遣る瀬無きかな”
        ”どんなに怖くたって 目を逸らさないよ”
        ”全ての終わりに 愛があるなら”

        という歌詞を噛み締めて聴いている。

        木立でいたいんだよな。そのくらい動じずにいたい。てゆうかなんか、基本木立視点っつーか、なんか、人とちゃんと話せてない気がするっつーか。そんで人が死んだときに、なんか、愛っつーか、を自分?だか他人?だかに、見出せる保証とか?あるんなら、ガッとこう、見てられんだけど。まあわかんないんだけど。百パー伝わるとか、伝えるとか、まあ無理なんだろうけど、できる限りのことは、しとかないと、自分が考えうる、ベストな、手ブラな状態で死ねないかもしんないじゃん。やじゃん、そんなん。

        なんてね。
        | - | 01:22 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
        あまりにも ノーフューチャーだ
        0

           

          私個人の周りで起きている事と、見たり聞いたりして「起こっている」とされている事。について最近とてもよく考えている。今年最初にデヴィッド・ボウイが亡くなった。私はひどく動揺した。同じ月にSMAPの奇妙なテレビ会見を観たとき、ボウイのラストアルバム”BLACK STAR”の、ジャケットに描かれていた五つの星マーク(でっかい★。の下にぱっかり真ん中で割れた★を中心として、欠けた4つのマークが並んでいる。6つにも見える)がまるでSMAPじゃないか、という…まあ普通に”アタマオカシーンジャナイノ”な連想をして、また脳味噌が破裂しそうになっていたのだった。

           

          SMAP。パンクを知ってから自分の生き方はそれなりに定まって、から暫く経過した、そんな今でも、心の中に彼らの空間がとってある。小学生の時分、広島から中途半端な時季に転校してきたので、言葉がナマッてるだのオトコオンナだのとやいやい言われたりハブられたりするので、登校が辛かった時期があった。そんな中、香取慎吾が気になって彼の出演するドラマやバラエティを観るようになった。華奢なジャニーズのアイドルの中では目立つ、大きい身体で奇抜なファッション、裂けたように横に広がった、口角の上がった唇。ちょっと変わったバランス感覚を持っているところが好きになった。SMAPはクラス共通の話題に成り得たので、私もようやく普通にコミュニケーションを取れるようになれた。セーフ。”社会”の中で”自己”を入れたり出したりできるようになったのは、紛れもなくSMAPのお陰だったと思う。森且行が脱退した後だったので、私は5人でSMAPなんだけども、個性豊かで、衝突も団結も見せてくれるアイドルを見ていると、なんだろうな・・・人間の有象無象というか。そんなものを感じたりもしていた。SMAPを通じて出来た大事な友達も居る。

           

          私はSMAPのファンなのだろうかしら。いやその、勿論ね、ファンでいいんですけど。でも自分で買ったアルバムは”ス”(小学生の頃最初に自分でお金出して買ったアルバム。今は無きヴァージン・メガ・ストアーズにて。調べたら発売日は広島の原爆記念日だったわ。)と”BIRD MAN”(中古で300円)、”ラ・フェスタ”(ペット・サウンズの枠にアーバンヒムスパロの写真というすごい力技のジャケに惚れた)だけだし、あと”裏スマ”と”VEST”は誕生日かなんかで?プレゼントしてもらった。慎吾の団扇も2枚しか持って無いし、ドリスマのバスタオルやパンフレットは妹が買ってきたものだし・・・。慎吾の公式グッズである緑色のG-shock風腕時計と裏スマのTシャツをこないだご好意でいただいてしまった。あ、ビデオあるよ、”ス”に”ビバ★ラ★アミーゴ”、”はじめての夏”・・・DVDは”clip SMAP”、”少年頭脳カトリ”(これも頂き物だな…)。テレビも結局そこまで観ないのでスマスマもたまたまでないとだし・・・う〜〜ン。うふふ・・・。あと薄い本作ったりしてた。ウフフ・・・。

           

          以前国立競技場のコンサートに行った時、”世界に一つだけの花”の振り付けができないのは見渡す限り自分だけで冷や汗をかいた。なんとなくこの曲を老若男女がニコニコ唄ってSMAPの代表曲みたいになってる空気は今でもちょっと苦手なのだ。私は”しようよ”が一番好き!超好き!最近の曲は”FREE BIRD”が好き!最近じゃねえのか!でも好き!どこかに答えがあるの〜なら〜♫いつか飛び回ることを忘れてしまう〜よ〜♬

           

          私はHOMMヨでCDを幾枚かリリースしているのでちょっとこの辺については思うところが良くも悪くもある、ジレンマもある。のだけども、SMAPが不穏な形で今年をスタートして現在の解散騒動に至るまでの間にこの”世界に一つだけの花”のシングル購入”運動”が加速し、ついにはシングルCD売り上げ初の300万枚に手が届きそう、ということが起こっているようだ。CDが売れないと結構長いこと嘆かれる(?)世の中で、今、現在、日本史上一番売れたシングルという記録がブチ上がることになるかも、というのは凄い話です。単純に凄い。乱暴な書き方だけどね、昨今ロックの現場を中心に身を置く自分の回りでよく見聞きした、選挙行こう、デモがあるぞ、打倒現政権、目指すところの”革命”、それが起こるのかもしれない。SMAP関連でそうゆう波を感じるとは夢にも思わなかったぜ?ジャニーズ事務所というどことどう繋がってるのか、な、権威はもう完全に”ワルモノ”になったし、”現政権”メリー喜多川はマジで潰れちゃうかもしれないっすよね。これで”オオムコウ様”の在り方、は是非考え直されていくといい。CD、購入運動、政治。(これを繋げたAKB48は2005年からスタートしているのか・・・ ちょっと調べてみたら最初に”総選挙”したのって野猿なんだね。同じ秋元康プロデュース、2000年シングルリリースの折。ふーん・・・。)

           

          ”世界に一つだけの花”を今改めて聴いてみると、サビの”そうさ、僕らは 世界に一つだけの花”って歌詞の”僕ら”は、イコールSMAPような気がする。それならいいな、全人類のことを唄っているのですよ的な解釈が居心地が悪かったんだな、と腑に落ちた。特に”困ったように笑いながら ずっと迷ってる人がいる 頑張って咲いた花はどれも きれいだから仕方ないね”って歌詞はすごいなあ。流石だなあ槇原敬之。

          曲の解釈なんか人それぞれでいつ気が付いたり心に入ってきても良いと思う、ので、今までこの曲が自分の中で微妙な位置だったことを反省したり(??)、はしませんが、

          「僕たちは仕事をしています。ステージの上で5人という人間の姿をして唄ったり、踊ったり、喋ったりしています。もともと特別で唯一な僕らは頂点なんかに興味ありません。そんな僕たちは、あなた方の感覚では”花”に喩えられるでしょう。」と。今ならそう聴こえる。なんだ〜、王の歌じゃないか。こりゃあ痛快。もっといったれ。と、ここで初めて”王”であるSMAPを指す”僕ら”がひっくり返って”市民”になっている構造があることを理解しました私。まさにPOWER TO THE PEOPLE!!!

          話が戻るけれど、ボウイの”ロックンロール・スーサイド”は「青春が終わって、大人になることの絶望に死にたいくらい混乱しているかもしれないけれど、僕もそうだったから、きみは一人じゃない、そして美しいんだ。だからロックンロールに自殺なんかしないで。僕の手をとってくれ」というような内容の歌詞ですね。(ちょっと解釈は色々あるようですが)あーたそりゃ、ボウイやSMAPはそら特別だわよ、おいらみたいなしみったれた一般人たあ違いますよ、美しくもないし花でもないっす。っていう気持ちと、あ、自分の事かもしれない、自分にも何かできるのかもしれない、っていう気持ちとの間で揺れ動く、ブレというか。ここは一生ブレ続けなければならない、と思っているのは私個人の見解なので、なんつーかどっちに振り切れてもいいと思います(なんなんだ)。背筋が伸びる。

          ジギー・スターダストの頃のライブでこの曲を熱唱するボウイが「ギミヤハーンズ!」と観客に手を伸ばす時。SMAPが国立競技場のコンサートで山車に乗り広い会場を旋回しながら「大好きだよ!」とファンに手を振る時。私の腕はどうなる?ダラーッと下がったままか。ふ、と中空にかかげてしまうんだろうか。

           

           

          SMAPのもう一つの側面として、ずっと言ってきたんだけど、”最後の昭和”という気がしていて。”最初の平成”は嵐になるんだと思うんだけど。昭和59年生まれで、実際昭和を生きたのはたった4年なんですが、J-POPよりも昭和歌謡が好きだし、映画も昭和の日本映画が好き。簡単に言うと、ゴツゴツした人間の営みが感じられるものが多いから。そこで虐げられてきた人々が居たのも勿論わかっている、し、その時代だったら自分も今ほど伸び伸び生きられたか怪しいので、良い時代だった、戻れ、とはちっとも思わない。でもだからこそノスタルジーの痛切を感じるのかもしれない。あの、この辺は私は罪悪感があるんです。うまく言えないけども、それがモエのキモだよね★て気分ではいられないな。まあいいや。SMAPはJ-POPを唄うグループではあるけれど、長男(中居、木村)次男(稲垣)三男(草)末っ子(香取)という疑似家族的な構成をしていて、しかもこの長男二人が非常に強い力を持っているあたりが実に昭和的なんだ。同じように年齢差もある嵐のリーダーは大野智。だけれど、中居正広のようにある”権力”は感じさせないし、嵐はもっと平等に、ひょろひょろわちゃこちゃとした仕事で沢山の心を掴んでいる。平成、平静、という感じ(その名は嵐)。中居正広の権力、と書いたけれど、自分の権力はSMAPによって与えられている、ということを意識し、客観的に物事を見極めモーレツな量のテレビの仕事をこなしてきた。そして木村拓哉が昭和的最後のスターであった(ある)ことも明白。彼の輝き方はまさに”スーパースター”という、理屈を超えてパンピーに届くタイプのもの。アッチ、とコッチ、があるとしたら完全にアッチ側の人。マイペースで平穏に見える次男三男二人には逮捕歴まであるぞ。末っ子は心が病み気味なところを隠しもしなくなった。アイドルとしてステージでキラキラ輝くのも本当なのに、拭えないほの暗いさがあって、私にはそんなところが本当にたまらんのですよ。傷だらけの…、あの…兎に角、たまらんたまらん、たまらんぜなのです。

          最後の昭和。それが、平成を駆け抜けている。平成天皇の生前退位の意思表示をした年に、その部分が丸裸になっているように見えて、心がザワザワするのです。クソ・リアリズム。

           

          2016年8月。私は8月が好きだ。自分が生まれた月。中居くんが生まれた月。冨士夫さんが生まれた月、亡くなった月。原爆が落ちた月。 終戦の月。祖父と祖母が共に亡くなった月。8月は始まったり終わったりの月。とても暑い月。

           

          | - | 04:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          1984 DAVID BOWIE
          0

             

            "1984"

             

            Someday they won't let you, so now you must agree

            The times they are a-telling, 

            and the changing isn't free

            You've read it in the tea leaves, and the tracks are on TV

            Beware the savage jaw 

            Of 1984

             

            They'll split your pretty cranium, and fill it full of air

            And tell that you're eighty, but brother, you won't care

            You'll be shooting up on anything, tomorrow's neverthere

            Beware the savage jaw 

            Of 1984

             

            Come see, come see, remember me?

             

            We played out an all night movie role

             

            You said it would last, but I guess we enrolled

             

            In 1984 (who could ask for more)

            1984 (who could ask for mor-or-or-or-ore)

            (Mor-or-or-or-ore)

             

            I'm looking for a vehicle, I'm looking for a ride

            I'm looking for a party, I'm looking for a side

             

            I'm looking for the treason that I knew in '65

             

            Beware the savage jaw 

            Of 1984

             

             

             

            ”1984”

             

             

            いつの日か

            きみは仕方なく 彼らに同意することになる

            時代は変わったんじゃない

            時代は教えてくれる

            変化はタダじゃない

            茶葉の占いでもしていてごらん

            テレビが何か言ってるよ

             

            残酷なものだ

            全ては1984年から始まっている

             

            彼らはきみの頭蓋骨を膨らます

            そして言う きみは80歳の老人だ、と

            だがきみはその意味に気がつかず

            ばんばん攻撃しまくる

            明日なんかくるものかね

             

            気をつけて

            1984年から始まっている

             

             

            こっちへおいで

            ヒドい面を見せてみろ

            一晩中妄想の映画を

            延々話し続けた仲じゃないか

            終わりはないと思っていただろ

             

            ”1984”

             

             

            僕は”ヴィークル”を探している

            乗り物に乗っているみたいに やり過ごしたいし

            パーティーを探しているし

            どっち側にもつきたくないから

            真ん中をいきたいを思っている

            65年の 愛しき反抗を地で生きたい

             

             

            気をつけて

            1984年

            残酷なことなんだから

             

             

            | - | 02:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            LOADEDの思い出
            0

              私がやくざ映画にずっぱまったのはヒロポンという女の子(フジョシ活動における私のジャックナイフ的人間)に勧められてからです。基本的に洋画の男の絆映画を好んで観ていた私には、やくざ映画というのは…、まあ…暑苦しいイメージで、やはりヤマトオノコ感というか?視覚的に余り自分には向いてないなと思っていました。男尊女卑の世界が精神的に凄くキツいので、同じ日本人のそうゆうのを観る勇気が無かったのが正直なところ。テヘヘ。言葉や文化が違うと適度な距離が保たれます。再三再四言いますが、私は距離を感じなくてはダメなんでしょうな。あ、本は、無頼派っつうんですか、そのへんは昔からわりと好んでぼちぼち読むんですけどね…。

              最初に菅原文太さんをしゃんと観たのは『県警対組織暴力』です。(ホントの最初は『太陽を盗んだ男』ね!はアナーキーの映画で、”やくざ”とはある種やはり距離がありましたから、菅原文太のイメージは…人間に見えなかったです。もっと象徴的、ロボットみたいなかんじ)
              『県警〜』は何か重厚な?人間ドラマ?みたいなものを期待して見たんですが、肩すかしなくらい、青春映画でした。ほほお、ってかんじ、面白かった。ヒロポンはさっさとそれを見抜いていたわけですな。おそろしいコ!
              あっ、だからファースト文太さんはやくざじゃないんだよな。一応体制側に居る役。しかし最初に『仁義なき〜』観ろよってかんじですね…。素直じゃないね…。

              そのあと転がるように色んな映画を観ましたが、私がそれまでなんとなくいやーな感じがしていたヤマトオノコ感みたいなものは、所詮は眉間にシワを寄せて怒声がサマになってるだけの、ニッポン人の、単なる青春、群像、少年、漫画、でした。ちなみに文太さん主演で一番好きなシリーズは”まむしの兄弟”。好きな作品は”ダイナマイトどんどん”次点”血桜三兄弟”かな。
              あ、あのね、伝わるかはわかりませんが、貶しめているのではありません。菅原文太さんはほそっこくて、他の役者さんたちに比べて足が長くて、どの作品を見ても、妙に浮いている存在感があります。文太さんが主役級で居ると作品の中心がフワッとしてる。無理もないです、彼は元モデルなんですから。役者志望でいきなりオラオラとかじゃなかったんです。要はイケメンですよね。

              イケメンは映画が当たって当然チョーシに乗ったでしょう。きっと勉強もしました。でも彼の身体つきから溢れ出るイメージは、彼が育てた思想や哲学を超えることはなかったのではないかと思います。スターにはままあることな気がします。目に見えるものが全てというか。私はその虚無感のようなものに陶酔しました。そしてご存命な方々は勿論…松方弘樹や梅宮辰夫、北大路欣也、渡哲也に渡瀬恒彦、そして千葉真一…安藤昇etc。彼らのような”スター”の演技からはみ出たムードは、私には”もうどこにもいない男子”を想起させ、大変興奮しました。まだ”生きている”ことはポイントです。彼らは時として、”ムカシハヨカッタ”の話をしますし、テレビで大御所?として登場すればするほど、なんつーかヘンなジジイになればなるほど、この”もうどこにもいない男子”を意識せざるを負えない。
              たまらんですよ!!!

              菅原文太さんは私がそんな風にやくざ映画を摂取していた中で一番衝撃的だった死です。高倉健さんにはどちらかというと女性的なやわらかさを感じていたので、先に逝った高倉健さんを約二週間後ですよ、追うように死んだ(否、脳ミソの片方では人の死は偶発だと思っておりますが)文太さんに、なにもそこまで、みたいな、謎の感覚に苛まれてしまいました。哀しみ、切なさ、愛しさのような、そして怒りのような(超勝手)、そしてその感情は内へも外へも向かう、その間の摩擦、力の拮抗を感じながら、ふと、私が表現としてロックンロールを選んだ理由のようなものが幽かに見えた気がしたのです。それまで10年かかりました。矢張りロックンロールには人智というか、そうゆうものを超えたころにあるんだナー、と思います。


              まあなんというか、その謎を解明すべく、もうなんかギトギトに脂ぎった気持ちで”LOADED”の雛形をつくっていきました。ドキドキしながらスタジオで披露したら、それこそ肩すかしなくらいまほさんとみちゃんに”いいんじゃない”、と言われ、そのまま二人は黙々とフレーズやアレンジを考えてくれました。

              ”ライカ”はね、私の中の禁じ手を次々出した曲でした。私は余り”物語性”みたいなものが好きではないんです、本来。シュミじゃないんだ。そこに自分を立たすことも。
              スティングはポリス時代、”見つめていたい”がヒットした時に、なんてことない、よくある曲だ、でも、あの曲には何かがあるんだろうね、ぼくにはわからないけど、と言いました。(ロッキン・オンのインタビューかな。手錠をかけられ、私はポリスで一発当てました、というメモを持たされた、みたいなスティングの写真が表紙でした。古本です)気持ちが少しわかるような気もします。まあなんというか、今でもまだ、やっちまったな、という思いも消えません。原爆ヒロシマを体験した祖母や祖父が、孫のため、私のためにと笑って隠したことを、その肩口からジロジロと眺め、その意識…変な言い方だけど野次馬根性かも、をズルズルと引きずり出して書きましたから。”良い曲”にあの内容の歌詞を載せたのは、その”笑って隠した”人たちへの、せめてもの…せめてものなんでしょう?うーん、ちょっと言葉にはならないかな。

              ”LOADED”を作品として世に出すにあたり、こんなようなこんぐらがった感情を支える曲が必要で、ただ、なんつうか補佐ではなくて、それぞれ独立したものでなくてはなりませんでした。そこを突き詰めるのが、私の役割だから。結果がこのシングルです。

              ”DAZED”は”ぼーっとした(混乱)”みたいな意味です。それにテレビジョンの”days”という曲をかぶせました。道、橋、移動手段モチーフって血湧き肉躍るね。”LAND”は、国とか島とかの意味…まあこの国の現状、それに対する個人の有り様とゆうか…そんなことを考えながら歌詞を書きました。パティ・スミスのベスト盤”LAND”を買ったときに貰ったポスターがずっと部屋に貼ってあるのと、あと遠藤ミチロウさんの本”膠原病院”を読んだときに、スパーッと出た言葉を張り合わせました。そんなとこかしら。まああんまし言うとね。色んな情景を浮かべて下さった皆さんの言葉が、本当に本当に嬉しかったです。空間恐怖症的な、なんだか作者の思惑を隅まで理解しなければ劣等生みたいな気分になる”完成品”は、私は作りたくないです。これからも気をつけていかなくちゃ!

              どうかこの”LOADED””DAZED””LAND”をよろしくお願いします。そういえば、D、の文字は石の様な形をしてますね!

              12/17シルス


              追記.水木しげるさん、野坂昭如さんも立て続けに亡くなりました。死は清らかです。この世からいなくなって、ますます、その人への本音を、誰にでも平等に語らせることができるのですから。ね。

              追記の追記.安藤昇さん。私は泣く奴1000人です。
              | - | 01:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              ファーストアルバムの思い出
              0
                HOMMヨの1枚目のアルバム”witchman”(この頃からずっとアルバムタイトルは二言です、シングルで初のタイトルオール一言です!個人的に重要だからねこれは)ジャケットのイラストは野口優子さん、という方に描いてもらいました。3枚目までアルバムで彼女のイラストを見ることが出来ます。

                彼女はこのご時世にペンタブも使わず、フリーハンドでマウスを動かして描いた絵(独特なタッチはその所為です)のシリーズを、今でも小さなライフワークの一つとしていて、その初期の作品がこれなんです。
                HOMMヨは最初から姿がイラストで表現できるようなシンプルな形を求めてまほさんとみちゃん二人を誘いました。背が高くて、中性的なムードがある女の子のリズム隊が良かった。その間にぐしゃぐしゃな自分が居ても、ステージで凛とするかなって。所謂”ギャルバン”をやるにあたって、音楽性だの技術だのとやかく言われたり、ヘタでも一生懸命な姿が健気、みたいな評価を封じるためには、パッと見のクールさが絶対に必要だと思っていたから。自分で何度も絵というかイラストを描いてみたけど、なんというか才能がなくて、納得できなくて。で、野口さんや雲田さんに描いて貰っています。感謝!

                野口さんは中高の同級生、仲良くなったのは高校からです。みちゃんも卒業した中央線沿いのこの女子校には、芸術科コースと普通科コースがありました。私は音楽も絵も好きだったので、芸術コースに行きたかったのですが、簡単に言うと親の反対で普通科コースに行きました。でも芸術科コースは一年生からものすごくハードで、軽音部に入部した生徒は脱落していったので、もしかしたらここで芸術科を選んでいたら、私はバンドやってなかったかもしれないですねー…要領がすこぶる悪い人間なので…ちなみにみちゃんの軽音部バンドのドラマー庄司さんは芸術科コースだった、かっこいいコ!HOMMヨのwebデザイン、アルバムデザイン諸々助けてくれていて、witchmanの歌詞カードの写真も彼女が多摩美のスタジオで撮影してくれました。

                あ、話が逸れましたが、野口さんは!眼鏡がトレードマークの品行方正、成績優秀、ただこっそりpierrotというヴィジュアル系のバンドから入ってシガー・ロスとかムームとか…ダークな音楽が好きなようでしたね。とはいえ、ユニークなところがあったりして。絵はまだ表立って描いてなかったけれど、教室でまわす手紙に小さなイラストを添えていて、それがなんとも味わいのあるかわいいキャラクターでね、大好きでした。絵をもっと見せてくれ、描いてくれと頼んだら、はにかみながら沢山落書きをしてくれた。

                で、良い大学にサラッと入学した野口さん、ちょっとした絵を描く授業をとったら、ブワッと広がったみたいでした。自分を表現できるヨロコビに出会ってしまったんですね。
                その授業で描いた作品を通して、優等生だった彼女が今まで必死に隠してきたのであろう、何かを見ることが出来ました。かわいいイラストからは程遠い、真っ赤な絵の具で殴りつけるように描いた大きな作品で、大学のそっけない教室に、それは展示されていました。なのに、見に来てくれてありがとー、って言ってくれた時の、妙にサッパリした様子が印象的です。すごく彼女らしくて。
                ただ、その時期の彼女の精神は非常に危ういところにいた。解放の反動というものなのかな。病院に通ったりもしていました。だけど、絵を描くことだけは、やっぱり表向きには優等生をやりながら(単位落とす落とさないとかそうゆう意味ね)、続けるんだとゆっていて、私もHOMMヨをやり始めてから生まれてくる音や言葉におっかなびっくりしながら、そして一緒に色んなおしゃべりをしながら、そうだね、これは絶対に続けてやるんだ、1、2年で遊びみたいに終わるものになんかなるはずがない、とお互い励ましあっていたと思います。

                good lovin'の古岩井さんがフラッとHOMMヨを見かけて、君たち面白いからCDを出さないか、と言われたとき、もうはるか天の上(今は実際天の上ですが)にいるようなバンドが、沢山の権利問題その他ゴタゴタで、たった一人の小さなレーベルから音源を再発しているなんて全く知りませんでした。村八分。浜田山のTSUTAYAでなんとなく手にとったCDでした。その時一緒に外道と頭脳警察も借りたけど(バンド名が物々しいから笑)ピンときたのは村八分だけでした。
                高校生の頃、私も野口さんと同じように何かを隠して暮らしていた気がします。村八分の音楽はその部分にすごくフィットしたロック音楽でした。いくらやさぐれても足らない、シンプルな日本語とビート。これがどうして今の日本のロックじゃないんだって悔しかった。授業サボって便所で聴いてみても私は不良ではないし、喉に引っかかって代わりに涙しか出ない。つまり素直に感動したのかなー。
                友達も沢山居たし、コミケも好きなジャンルは最盛期でバリバリ行ってたし、軽音楽部で楽しくセックス・ピストルズやなんかのコピーをしていて… まあ大抵の人はそうなんじゃないのか、と今なら思えますけどねー!なんか満たされない、というアレ。思春期ってそんなもんです。

                で、そんな思い出を抱えながらの”witchman”は、最初で最後の録音かもしれないから、あの時の自分を連れて行ってやろうと思って、曲を固めていったような。村八分みたいなー、とか絶対に意識するなよ、おまえはすぐ影響を受けちゃう人間なんだからな、手放し運転でいくんだぞ!って感じで。
                こうやって作品をCDという形にできたのは、HOMMヨを10年続けてこれたことに大きく影響したと思います。当時の、ノルマを払って有象無象、お客さんの少ないライブハウスで毎週ライブをするだけ、ってゆうスタイルはいくら若くても単純に疲弊しますから笑。本当にラッキーでした。

                ”どこ”って曲があります。ツーコードのこざっぱりした曲。確かね、スピリチュアライズド(死語)が”スリーコードイズグッド、ツーコードイズベター、ワンコードイズベスト”と申しておりますって、学校の帰り道にあった西荻窪の古本屋で売られていた古いロッキング・オンのインタビューで読みました。ツーコードイズベター、のなかで、私の言いたかったことは、HOMMヨを組むずっと前、あなたたちは何を思っていたのかな、ってことでした。みちゃんの思春期、まほさんの思春期。
                ワタクシはというと、例えばこの先学校という空間から離れ、とっくにもやもやは卒業しました、というツラで社会に出て、まあまあ、と人は自分を食わすようになり、生産性優先、それ以外は知らんがな、ゲンジツはヒジョーにキビシーのだよチミ、を内面化し、いつの間にかそれを他人に平気でおっ被せるようになる。いやだーいやだーなんかようわからんがそんなんはいやだーと学校の屋上で放課後ゴロゴロプカプカグビグビしていたのね…でも間違いなくロックに当たり散らしている自分は不良じゃ無かったのヨ…。

                人生とは足場をブチブチ切っていくところからが、きっと本チャンな気がします。あ、感覚の話よ。経済的なことや人間関係のことではありません。そうやって表現する人間もいるけどね。
                バンドメンバーといえど一緒に演奏するとき以外は個人です。だからこそバンドが続けばいいな、という願いのような、夢のようなものが今も心を住処に存在しております。
                七転八倒していた過去の自分から、知るよしもない過去の彼女たちに、今どこですか?このまま生きていれば会えたりします?って呼びかけているというか…うーん…SF的なね?なんかそんなイメージです。


                あー、タイトルトラックのwitchman、という曲に関してはね、大分ニルをヴァーナしているので(これは影響ってゆうか、やり方を他に知らなかった感じ…)まんまは恥ずかしくてもうやれないかもね笑。でも今にして思えば10年くらい軽くやれちゃうくらいの未来を見ようともがいていたのかもしれません。良かったね、とりあえず。野口さんも相変わらずずーっと絵を描いていて、あの頃よりは少しゆっくりペースで喫茶店の窓際の光が残る時間から近況報告をし合っています。HOMMヨを観に来てくれて、自分の言葉でいつもきちんと感想を伝えてくれる大切なお友達。楽器を弾かない人の、そうゆう言葉はとても重いし、嬉しいです。


                でもファーストアルバムというものは、その後のバンドの身の振りを暗示するようなものでなければならなかったりもしますよね。ロックのマナーですな!どうかね。良かったら聴いてみて下さいね。
                ”性別とか年齢とか喜怒哀楽とかに対して割り切れないかんじの顔に自然になった”と言ってくれた、witchmanのジャケットは、HOMMヨの音楽の顔だと思います。


                | - | 01:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                ギタリストの思い出
                0
                  高円寺二万電圧は昔pal商店街にあって高円寺20000voltとゆう名前でした…ってことはまだ忘れられたり知らない人というのは少ないのかな?店長さんらもまだ変わってないしね。私がライブハウスの作法を教わったのはニマン、とゆって差し支えないでしょうな!どーん。出演したのより、観に行った回数のほうが断然多い…質量がそんなかんじする。オシリペンペンズやKIRIHITO、アゴーレーカルキン、中原昌也、中学生棺桶とかが思い出深い。組織暴力幼稚園だったかなー、ゴミ箱に顔突っ込みながら唄ってて、わあ〜ってなった。今見ないなー、そんな人…。いいじゃん、やれよ。私はやらないけど。
                  地下二階だし、PA卓やドリンクコーナーはちびっちいし、トイレは酷いし、楽屋の鏡は割れてるし、家に帰れば全身臭いし、火を噴く人も見た、でも妙に安心できたライブハウスでした。受付にあった小さなテレビも、なんかよかったなあ。今でも夏に着る手ノ内嫁蔵のベージュのTシャツはここで買いました。


                  20000voltでガッビーン、て感じて、かつ今でも付き合いのあるギタリストが三人いる。撃鉄の森岡くん。当時ピンクグループの丸山くん。owllights(最近タイミング合わなくてなかなか観れないの、悲しい)のゴガちゃん。


                  撃鉄は彼らがフジロックのルーキーアゴーゴーに出演したちょっと後?かなー、で対バンした。旧ニマンでHOMMヨでお客さんが沢山いた記憶はないかな笑。この時も凄く少なかっだと思う。ボーカルの天野くんはすでに気合の入ったギラギラピタピタスパッツを履いていたけど微動だにせず唄っていました。ベースの田代くんが当時太平洋不知火楽団の大内くんと顔が似ているらしい、つのが身内のプチ話題。だがしかしとりあえず私は森岡くんが衝撃でした。まさかこの音…マルチじゃねえだろうな、と足元覗いたら、高校の軽音部で転がってた弁当箱みたいなマルチエフェクターで信じられないくらいミニマルかつソリッドなギターを弾いていました。キーボードみたいことには全くならず、私にはやっぱり純粋にギターとして聴こえる。まだそれを使ってらっしゃるよね(わかんない、沢山持ってるのかもよ、ルパン三世の服みたいに)楽屋でINUとかお好きなの?ときいたら、よく言われるけど聴いたことない、ってゆわれてアー野暮なこときいたな、って恥ずかしくなった。その後渋谷サイクロンで彼はdjやってて、それ聴いたらなんとなく発想の仕掛けが分かった気がした。すき家の牛丼の持ち帰り弁当を、単に観に来てたんだか撃鉄も出てたんだか覚えてないのだけど、ドラムの近藤くんがちょっとお裾分けしてくれた。トッピングはチーズでした。

                  ピンクグループ…今は驢馬というバンドでボーカルの壺くん、ドラムのイチくんが一緒にバリバリ活動していますね。前身のタリバナサンバというバンドには撃鉄の田代くんが入ってました。不思議な感じ、でも筋が通ってるな、って人間関係で気持ちよかった。ピンクグループは友達の間でヤバインダヨな噂のバンドで、それこそINUみたいなんだ、って聞いてて、ナンボのもんじゃいと生意気な気持ちで見に行って、そしたら嬉しくなるくらい同じ感じと違う感じがあって、ライブがとても楽しかった。嬉しくなるくらい違う感じ、は丸山くんのギターの所為だったな。こんなギタリストがベラベラ喋ったらイヤだな〜って思ったけど期待どうりぬりかべみたいな男の子でこれまた嬉しかった。絶対にギターが凄い上手なんだけど、ある意味高倉健的純粋不器用オーラで誰も入れない世界を感じました。丸山くんとは名物企画”密林”(印象深いのが密林バーガーってフードにある回があって、何かと思ったらマクドナルドのハンバーガーがピラミッド状に積み上げてあって、それがタダなの。コンセプチュアルよね)で、私確かピンで出たのかな?そうだっけ?HOMMヨでだっけ?… で、カレーイーターズかな??(正確さについてはご容赦ください)チムニィ木下さんとのバンドでぼんやり対バン&再会、下北沢ベースメント、スリーの往来でしたね、に、出た帰りの井の頭線で多分初めてマトモに喋った。音楽どんなの聴いてるの?てきかれて、最近リンク・レイよく聴いてる、かっこいいよね、ってゆったら、サイコーだね、と初めて明るい笑顔を見せてくれました。


                  owllightsはすごく世話になった気がしますし、世話もしましたね(エラそう)マスタリングでピースミュージックを紹介しました…あっ、思い返せば世話したのそんだけだ笑。ボーカル、ギター、リーダーの宮永くん(元気ですか?)が、今ではイベントも一緒にやってるほど仲良くなりましたがイライザ・ロイヤル&THE総括リンチのドラマー、シマダさん率いるTRASH−UP??という雑誌でライターをやりはじめた時は、中野タコシェ通いのサブカルアングラ野郎にとっては、ああゆう音楽やっててこうゆう仕事してるのってクールネスな理想…とか思ってました。で、ゴガちゃんはあの巨体の肩にディズニー映画によく出てくるような頰がぷっくりしたカラフルな唄う小鳥をとまらせているような(ワカル?)実に粋なギターで、話しやすい雰囲気も相まってギターの話もぼしょぼしょしました。詳しいし、仙人みたいだけど嫌味がまったく無くて。どんなバンドが好き?って聴いたらルーツは堂々のダイナソーJr.だって。ヘビメタ先輩にシゴかれて頑張った話や、突然新宿でクソ高いギターを買った話、エフェクターケースが犬を入れるバックを改造したやつだとか…いちいちおもしろかった。宮永くんの鬱々に対する大らかな相棒…つか、変な人だ!and young…の加納さんに、ゴガちゃんのギター大好きってゆったら、遠い目をして、アイツは天才やな、って呟いてたな。owllightsには、20000voltやpal商店街で呑んだくれてた大学の同級生のアゴーレーカルキンの田代くんが加入したし、同じくアゴーレーの新戸くんは現在ゴガちゃんとH Mountainsをやっているね。ついでに言うと、HOMMヨを最初にニマンに出してくれたのはアゴーレーの倉本くん企画だったと思う… moools酒井さんやスイセイノボアズが一緒に出てたな、だよな?(やっぱりお客さんはいなかった)酒井さんの、さっぽろ雪祭りは行ったことがない〜〜行ったことないけど楽しいにきまってる〜〜って曲覚えてる!
                  こんな風に遊びに行ってたライブハウスに出るのは緊張した。その時石原さんが、ギター弾いてる時の右手が綺麗だね、てゆってくれたの、良い思い出だ。ああっ、そいや酒井さんと倉本くんは今銀座擬人座とゆうユニットやってるなあ!


                  上の居酒屋が火事で燃えたのは、家族とその友達家族で高級中華料理店にてモジモジ食事していた時、ネットニュースで見た妹に、あれ、まりちゃんよく行ってるとこじゃん?てゆわれて、知りました。亡くなった方もいると。アゴーレー田代くんなんかあすこでぶっつぶれて昼前までよくほったらかしてたなー、と焼豚を食べながら呆然としていました。


                  補足。
                  ニマンでは多分観てないと思うけど、股下89のゲイちゃん(本名は同級生と同姓同名…どうでもいいか…)のギターも素晴らしい、感動しました。ズルズルとギラギラが同じ次元にある。20000voltで観たかった年下の女の子ギタリスト!て感じ。何が最初かな?モーションではよく見たかな。股下89は……あ!?立川か!?バベルかな。中学生棺桶のカノウさんがブッキングしてくれたやつ…かな?HOMMヨと合う女の子のバンドがいるよ、て書いてあるメールを覚えてる…けど…。ボトルズハウスとも知り合った時かなー… 記憶…記憶よ…。


                  つながるつながるつるばらつるばら…


                  そんなこんなな曖昧な記憶の中ですっくと立つこの四人が私の極個人的ギタリスト四天王ですね。最近でも勿論いいな、好きだな、って思う方はいるけれど…、青春の気配の所為なのかな、この独特の鮮やかさって。
                  | - | 13:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  アニキの思い出
                  0
                    下北沢THREEが出来た年が久土'N'茶谷さんとの初対バンの年か!と思ったので、ちょっと書きますね。


                    2009年、HOMMヨは「DIVE to 2010」という新宿ロフトの、若手と重鎮がごた混ぜになるイベントに出演する機会があった。ライブハウス往来とか何日連続でジャンルレスなフェスみたいなイベントは今でこそ普通だけど、この頃はまだまだオオゴトだった気がします。

                    同じ日、同じバーステージに久土'N'茶谷さんも出てらした。何回か観たことがあって、バンド名の読み方も正体もまったく分からないけど、人力マッシュアップ、泥臭いのに変なシブさはない、クラブ音楽感?ドラム魔法、ギター般若、なんかすごい人達だ!と一目でファンになったから嬉しかった。他対バンも灰野敬二さんやphewさんで、いきなり大舞台にポンと出る感じで、私はなんつーかアワワであった。(…その後フェスみたいなのにまったく呼ばれないから自分らで主催してるわけなんですけどね。オーイ。)

                    私たちはノミ以下の知名度だったけど”いいこだよ”は結構自信の新曲だったから、デモCDRも作って、これをキッカケにブレイクスルーすんぞー、がんばるぞー、と意気込んで当日リハーサルをしたんだけど、メインステージで同時刻に演奏するZAZEN BOYSさんの妨げになる、あなたたちは音デカすぎるから絞ってくれ、とスタッフの方に言われてしまった。
                    ガッカリだよ!!!



                    こっちは出力小さいし音デカイといえどたかが知れてる、つかそんなん気にするならタイムテーブル考えて組んでよ、そりゃあZAZEN BOYSさんは知名度、期待値、実力、全てにおいて遥か上ですよ、だからこそ我々はガンガンやるっきゃないわけで、その拮抗がイベントコンセプトなんじゃないの違うの……まあ、そうね、こんな日だからといってHOMMヨさんは沢山の人に観ていただけるなんてことはないんだろう。無名有名関係なく伝説のロフトで激突!みたいな煽りって結局薬局所詮宣伝であって、でもあんなふうに言われちゃうなんて、なはぁんか現実ってカンジー、と思ったのだけれども、だからせめて温泉ファック…と恐る恐る久茶さんに、あのー、ザゼン観たいかもですけど、私たち時間かぶっちゃって誰も観てくれないかもなんで、せめてそのー、えーと対バンできて嬉しんですけどー、あのー、折角なんでヒサトンチャタニさんに観ていただきたく思いエトアノ…と言いに行きました。
                    お二人は、そりゃあビンボーくじ引いたなあ若ぇの、俺らでよけりゃー賑やかしてやるよー、みたいな、超アニキな対応であった。超アニキ。一体お幾つなのか近くでみても全然わかんねーな…でもなんて良い人たちなんだろう、しょっぱい思い出にならずにすみそう、と思いながらむかえた本番は、ご忠告は丸無視させていただき勿論アンプフルテンで暴れようぜ〜、なんつってピギャーという音を出したら、メインとバーを往来できますよの通路まで封鎖されちゃって、あららいよいよ誰も来なそうだけど、アニキ達が観てくれているなら、なんかもういいや、おれは!いいこだ!ヨー!!!

                    …怒りと興奮と緊張であんまり覚えてないけれど、全くお客さんが居ないってことはなくて、真ん中くらいまで?人がいるなって感じがした。ライブ終わったら右手にお二人がいて、親指をイェーイって立ててくれるのが見えた。
                    わー少年漫画みたい。すごく嬉しかった。


                    打ち上げでもお世話になって、酔っ払って気が大きくなって色々な方に失礼なことを沢山したと思う。そこはしょっぱいな。今より血の気も多くて若かった。
                    ただ、印象に残ってるのは、感激を伝えようとしたんだか、私は久土さんにア〜ニキィ〜て言ってしまったんだけれど、それに対して大口開けて、アギラァッ、と返して笑ってくださった。アキラは乾アキラね。”傷だらけの天使”の水谷豊がやってたチンピラね。も、感激だったね。大好きな憧れのヤクザな世界に、ちょっと入れた気がして。


                    なんやかんや風向きは変わったのか、その直後くらいから、今回レーベルメイトとなった土屋竜一くんや狂気のバネくんやsalsaさんもまずは久土'N'茶谷大好き野郎として仲良くなったし、今まであまり縁のなかった下北沢でのライブも増えてきて、分かったのは、久土'N'茶谷はバンドやってるヤツらの、みーんなのアニキなんだなってことでした。

                    俺たちのアニキは自分たちがどんだけ凄い力を持って音楽にあたっているのかってことにイマイチ自覚が無くて、ちょっとおっちょこちょいで、でも往年のバディ物映画やドラマみたいにクラシックに、永遠を生きるのではないかしら。


                    | - | 14:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    彼女の思い出
                    0
                      HOMMヨ10周年徒然ブログやろうかな!どうですか。

                       
                      私が5歳のとき、広島のとあるカトリック教の幼稚園に通っていました。幼稚園には小さな教会が入っていて、そこ行ってはキリストの磔刑の像やステンドグラスを見たりするのが好きでした。
                      幼稚園はすみれ組で、そこにミサちゃんという女の子がいました。ミサちゃんは女大将。垢抜けていて、言うこと聞かないやつは容赦なくすぐ引っ掻くので、大分問題児だったようです。彼女は”おかあさんごっこ”と呼ばれていたおままごとが好きで、これをやりたいと一声あげればそれは大変。教室にはリアルな台所、ヒラヒラのエプロンやスカートがあって、それを身につけ、使用することができるのは、ミサちゃんお気に入りの女の子たちばかりでした。子供なもので、たまにいつもミサちゃんばっかりゴージャスな召し物を着てずるい、私だって着たい!と果敢にチャレンジするコもいましたが、勿論そんなコには引っ掻きの刑が待っているだけでした。
                      私は犬や猫や宇宙人の役をやっていました。やらされていたのではなく、自ら志願していました。興味がなかったのです。人間の役をやることに。
                      自分の立場を脅かさないと踏んだミサちゃんに、私は一度も引っ掻かれることはありませんでした。でも、彼女が他人の手を掴み、目を見ながら、ゆっくりと引っ掻く、引っ掻かれたコがみるみる恐怖で顔を引きつらせる様子を、
                      見るのが大好きでした。なので私も同罪です。
                      ”かみさまのおはなし”という時間があり、その時間は殆どの園児は半分寝たりそわそわ動き回ったりしていましたが、私はなんせ磔刑の像が好きだったので、早くゴルゴダの丘の話をしてくれないかな〜!と熱心に聞き入るので、シスターの園長先生は”信心深い良い生徒”と思ったのか、クリスマスの劇で私をマリアさまの役に指名しました。しかもキリスト生誕の重要なシーンのマリアさま。
                      ミサちゃんは確かガブリエルの役でした。彼女はきっとマリアさまをやりたかったでしょう。
                      私は”罪”や”罰”、そして”死”に敏感でした。何故なのかはよくわかりません。ミサちゃんは家庭に何か問題があり、おばあちゃんに育てられていたのだ、だからいじめの問題は、親も先生もどうしていいのかわからなかった、と後から聞きました。
                       
                      卒園した後だったか、一度近所の小学校のまめまき大会でミサちゃんに会いました。
                      私は私のおばあちゃんと一緒、ミサちゃんもおばあちゃんと一緒。地元のテレビ局がきており、私と私のおばあちゃんはインタビューされました。他愛もないことを答えました。豆おいしい、とかなんとか…(その場は豆は投げるものだと思うんだけどね)
                      側でミサちゃんが見ていました。私は、ミサちゃん目立つの好きだから、ミサちゃんもインタビューされたらいいのにな、と咄嗟に彼女の方を向きました。
                      威厳のあるおばあちゃんの横で、彼女は虚無的な目で立っていました。その時の大人の女の人がよく巻いていたスカーフ(具体的な宝石やチェーンの絵が描いてあるやつ…バブル感…)を服に仕立てたようなものを着ていて、すごくオトナっぽいな〜、と思って、なんだろう、彼女にはこの場所はキャパオーバーだ、と感じました。

                       
                      ミサちゃんは今どこで何をしているんだろうな。元気にしてるといいな、と思います。
                      ”いいこだよ”の歌詞は、彼女の思い出が元です。
                      | - | 16:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                      あけましておめでとうございます
                      0
                        本当にこのブログってやつをつけなくなったな。去年1回しか書いてないみたいです。へえ〜・・・

                        2014年はシングル、アルバムを作りました。レコーディングして、ジャケを作って、アー写を撮って、PVも撮って、宣伝フライヤーを刷って、ツアーをやって、ワンマンも!・・・などとやっていたらば、あっという間に一年という時間を使ってしまいましたね。Mama's tattooも開催したし、duMoも前年よりライブをやったし、同人誌もつくった。
                        『ライカ/ばか』『cold finger』両方とも、今までの10年近くの活動で出来るようになった事、全てをつぎ込んだものになりました。毎回何かしらそういうことになるんだろうけどさ。HOMMヨの三人の演奏は勿論、録音だのジャケだの宣伝だのライブだのって、協力してくれる方々とのあれやこれや、それも10年の上に成り立っておるのかとしみじみ。不思議な偶然や巡り合わせのようなものも、沢山あった一年なような気がします。全てにとてつもなくありがとうございます。

                        人様の前で何かをする、何かを出す。物心ついた時から私は常にそういう行為をしてきていて、一度もそれを停止させたことが無い。なんかそれがちょっと怖い。と、いうのは、基本出さないという人の方が多数だよね?だよね?それすらもよくわからない。結構それで、認識があまりにも違っていたりするのかもしれない、と思う事が最近ありますね。出して、それを他人に見てもらえる人って、少ない人数なんですよね・・・。んで、別にそれがエラいわけでもなんでもないんだけど、「影響力が」とかって、ねー。言いたくもなるのか。そして「影響力」持っちゃうとカイカンなのか?私、すごく人に影響を与えたくない。深海魚のように砂にベットリ腹這いになり、光を認識出来ないところで暮らしていたい。ははは。でもバンドはやっている。
                        別に全部の感覚を理解できるなんて思ってないですけど、しかしながら他人様を理解したいしたい!というのは、すごく思ってるタチなのかもしれないな。深海魚のように暮らすのは絶対に無理なんで、だったら逆をいってやるみたいなかんじか。漠然と怖い。常になんでも漠然と怖いな〜と思っているかもしれない。なんのために。

                        最近新曲を作って、新曲をつくるっていうことは、次のアルバムのことを考えている、とイコールなのかもしれないですが。
                        私は今年はロックのことを考える一年になる気がする。「種族の繁栄を願う〜」と唄いながら、種族ってだれやねんハハハ、って思ってたんですけど、こないだ「プリーズ•キル•ミー」というロック、パンクムーヴメントの聞き書きドキュメンタリー本を読んで、とてもとても、懐かしい、愛おしい気持ちをほっくり返したところです。
                        私は「ロックンロール!」とかって叫ぶ感じが全くわかりません。マッチョイズムについていけませんし、どちらかというとそういうのには瞬間的に殺意が湧いて来ますね。まあ殺意、なんてものも下らないと思ってるんですけどもね。かといって「ピース」っつーのもまたちゃいますよね。言葉なんて信用できない。信用できないからおもしろい。それも10年歌詞を書いて来てほとほと感じています。
                        女という性別で生まれてたがために、自分が心底やりたい、自分のイメージする、「ロックバンド」が出来ない、このロックに対する劣等感は、ただね、単なる思い込みな気がした(とでも思わないとやってられなかったのだ)ので、ドンデン返しをするために全員性別女のバンドHOMMヨを結成して、2014年になり、その劣等感とうまくつきあう(劣等感というのは消えるものではない、大事なのはつきあい方であるのことよ)ことができる気がしたので、そして、そういう種族って多分それなりにいる(いないと族じゃねーし・・・)とおもうので、その種族の繁栄を願って、今年はがんばっていこうっと。ってかんじです。


                        本年度もよろしくお願い致します。




                         
                        | - | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |